ブログ担当、サトマです。
先に「クリークに入社するまでとその後の体験談シリーズ」で下記の記事をエントリーさせていただいておりますが、今回はその第2弾となります。
▼入社エピソード記事 第一弾
【入社エピソード】対談形式でデザインチームのお二人に聞いた!クリークに入社するまでのお話
我らがPlaNetStudioには、どういうわけかクリエイティブとは縁遠い業種からリーチしていただいた方が多いことは、もうお気付きですよね。
今回お話をうかがったアートチームの「シンハ」さんも、まずまず数奇な運命を辿ってきたと言ってよいでしょう。
これから物作りの世界へ飛び込もうとしている人達にはぜひ読んで欲しいエピソードとなっているかと思います。
ファミリーレストランに就職
シンハさん、学校を出て某イタリアンのファミレスチェーン店に入社。
就職難の時代だったのでとにかく会社へ就職することを目標に、という流れに従った感があったとか。
自分の人生なのにどこかドライだった、と当時を振り返っておられました。
さて。就職してからというもの、飲食の現場はまるで戦場。
職場ではとにかく「生産性」を求められ、店舗では「体力」を求められ……店舗経験から店舗責任者、後々は管理職へ……
会社にて淡々とキャリアを積んでいく決められた未来。
それが重く心にのしかかってきたのは入社後何年も経ったころだそうです。
それは思い出せないほどの小さなきっかけ
飲食店舗での激務のなか、ご自身の中で育ちつつあった、とある思い。
「そうだ、物を作って食べていこう」
静かに静かに募らせてきた思いがいっきに噴出しました。
ところがそう決意した瞬間のことはまったく思い出せないのだそうです。
体力勝負の仕事をこなすうちに「自分の活動エネルギーは限りあるな」と、ブレイクスルーとなる出来事が一体何だったのか。今となっては不明。
それから会社を電撃退社してクリエイティブの学校に入学。
2年間、遮二無二学んでいくことになったのでした。
クリーク・アンド・リバー社との出会い
学校に来ていた求人はアナログワークの会社が多かったそうなのですが、その中で少ないデジタルデータワークの求人が目に留まり……
そう、それがクリーク・アンド・リバー社だったと。
担当の先生からも「挑戦してみては?」と背中を押してもらいトライすることに。
とはいえ、ろくなデジタルスキルをもっておらず、本当に大丈夫なのかな?と不安な気持ちのまま応募。
ところが書面が通り、一次面接、二次面接、と着々と進み……
面接時にポートフォリオをじーっと見つめられ、死ぬほど緊張した、と語っておられました。
面接の担当者からは「一緒に頑張ってみましょう」と。
こうしてクリーク・アンド・リバー社入社、ひとつ別部署を挟んで現在、PlaNetStudioへジョインされたのでした、パチパチ。
PNSのここがいい!
いまだに「こんな自分をよく拾っていただいたな」と思うそうです。
そしてさらに、業務未経験でも案件とタスクをまかせてくれて、しかもリード担当さんが業務フォローをしてくれること。
これも驚きをかくせないのだとか。
クリーク・アンド・リバー社ならではの業務経験を、興奮しながらそう語ってくれました。
今後の野望
毎回この質問で締めさせていただいているのですが、シンハさんの野望をうかがいました。
指名のお仕事をもらえるようになって、
最終的には自分が作ったと胸をはれるものを形にしたい!
と……静かに、しかしながらとても力強く、そうおっしゃっていました。
きっとシンハさんならやり遂げてくれるだろう、僕はそう確信したのでした。
インタビューを終えて
■蓄積されていく思い
これは僕の個人感なのですが、物作りを仕事にしている人には2種類いるような気がしています。
1つは、物心ついた時には紙とクレヨン、粘土細工、組み立て系のグッズなどを、息を吸うように物作りを人生の中にとりいれるタイプ。
もう1つは、シンハさんのように沸々とエネルギーをたくわえ、ある日突然「作る」と思い立つタイプです。
シンハさんのお話の中に「幼稚園の頃に描いた絵が一等賞となり褒めてもらった」という原体験がチラリと聞けたのですが。
もしかするとこれが「物作りの卵」みたいなもので、その卵をファミレスのフロアワーク中にあたため、学校という繭の中で変身し、クリーク・アンド・リバー社で孵化した、みたいなことなのかもしれません。
これをお読みになっている皆さんも、自分の中にあるその「何か」をもう一度見つめなおしてみてはいかがでしょうか。
もしかすると、クリーク・アンド・リバー社と縁のある何かが、静かに育っているかもしれませんので。
・・・・・・
……大昔、僕と一緒のチームで仕事していたプログラマーの先輩(できる人だった)が、一本ソフトをリリースしてその打ち上げの席で、
「なぁサトマ、俺は声優になろうと思うんだ」
と、プログラマーを卒業し、チームを去っていったのを思い出しました。
なるほど、そんな卵を持っている人もいたな、と。今どうしているだろう、今度連絡してみることにします。